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金沢地方裁判所 昭和31年(行)5号 判決

原告 荻布一郎

被告 金沢国税局長

主文

原告の「被告が昭和三〇年四月一三日附でなした原告に対する昭和二七年分富裕税に関する審査決定を取消す。被告は、高岡税務署長が昭和二九年二月一二日附で原告に対する昭和二七年分富裕税に関し課税価格金三五、九三二、一〇〇円、富裕税額金四四三、六四〇円、重加算税額金七九、五〇〇円と更正したのを、課税価格金二八、九六四、一四六円、富裕税額金三〇四、二八〇円、重加算税額不徴収にそれぞれ変更せよ。」との訴を却下する。

被告が昭和三〇年四月一三日原告に対し昭和二七年分再評価税につき再評価額金一、六四七、四五〇円、再評価差額金一、五三七、六〇〇円、再評価税額金八六、二五〇円、無申告加算税額金一二、九〇〇円とした審査決定のうち、再評価額につき金一、六四七、二三四円、再評価差額につき金一、五三七、四〇〇円、再評価税額につき金八六、二四〇円を超える部分を取消す。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

(当事者双方の申立)

第一、原告訴訟代理人はつぎのような判決を求めた。

「一(イ) 被告が昭和三〇年四月一三日附でなした、原告に対する昭和二七年分再評価税に関する審査決定を取消す。

(ロ) 被告は、被告が昭和三〇年四月一三日附で原告に対する昭和二七年分再評価税に関し

再評価額      一、六四七、四五〇円

再評価差額     一、五三七、六〇〇円

再評価税額        八六、二五〇円

無申告加算税額      一二、九〇〇円

と決定したのを、

再評価額      六、三〇五、〇〇〇円

再評価差額     一、五一五、〇〇〇円

再評価税額        八四、九〇〇円

無申告加算税額          不徴収

にそれぞれ変更せよ。

二(イ) 被告が昭和三一年七月九日附でなした原告に対する昭和二六年分富裕税に関する審査決定を取消す。

(ロ) 被告は、高岡税務署長が原告に対する昭和二六年分富裕税に関し、

課税価格     三七、二二五、四〇〇円

富裕税額        四六九、五〇〇円

過少申告加算税額      二、〇〇〇円

重加算税額        七七、〇〇〇円

と更正したのを、

課税価格     二七、四七九、一三一円

富裕税額        二七四、五八〇円

過少申告加算税額         不徴収

重加算税額            不徴収

にそれぞれ変更せよ。

三(イ) 被告が昭和三〇年四月一三日付でなした原告に対する昭和二七年分富裕税に関する審査決定を取消す。

(ロ) 被告は、高岡税務署長が昭和二九年二月一二日附で原告に対する昭和二七年分富裕税に関し

課税価格     三五、九三二、一〇〇円

富裕税額        四四三、六四〇円

重加算税額        七九、五〇〇円

と更正したのを、

課税価格     二八、九六四、一四六円

富裕税額        三〇四、二八〇円

重加算税額            不徴収

にそれぞれ変更せよ。

四(イ) 被告が昭和三一年六月二六日附でなした原告に対する昭和二七年分富裕税に関する審査決定を取消す。

(ロ) 被告は、高岡税務署長が昭和三〇年七月八日附で原告に対する昭和二七年分富裕税に関し

課税価格     四三、二一三、〇〇〇円

富裕税額        五八九、二六〇円

重加算税額        七二、五〇〇円

と更正したのを、

課税価格     二八、九六四、一四六円

富裕税額        三〇四、二八〇円

重加算税額            不徴収

にそれぞれ変更せよ。

五 訴訟費用は被告の負担とする。」

第二、被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

(当事者双方の主張)

I  再評価税

第一、原告訴訟代理人は原告に対する昭和二七年分再評価税に関する審査決定の取消、変更を求める申立の請求原因としてつぎのとおり述べた。

一、原告は昭和二八年五月四日高岡税務署長に対し原告の昭和二七年分の再評価税に関し

再評価額      六、三〇五、〇〇〇円

再評価差額     一、三一五、〇〇〇円

再評価税額        七二、九〇〇円

と申告した。これに対し、高岡税務署長は昭和二八年一二月四日附で

再評価額      六、三〇五、〇〇〇円

再評価差額     五、八二〇、〇〇〇円

再評価税額       三四二、二〇〇円

無申告加算税       六七、五〇〇円

重加算税        一三五、〇〇〇円

と更正する処分をすると同時に、無申告加算税と重加算税とを課する処分をし、その通知を原告はその頃受けた。

原告は右更正ならびに附加税賦課処分に異議があつたので、昭和二八年一二月二一日高岡税務署長に対し再調査の請求をしたが、右請求は昭和二九年三月一五日附で棄却され、その頃原告は右通知を受けた。

二、そこで、原告は昭和二九年四月一〇日被告に対し審査請求をしたところ、被告はこれに対し昭和三〇年四月一三日附で

再評価額      一、六四七、四五〇円

再評価差額     一、五三七、六〇〇円

再評価税額        八六、二五〇円

無申告加算税       一二、九〇〇円

重加算税               〇

と一部取消の審査決定をした。原告はその頃審査決定通知書を受け取つたが、それには審査決定の理由として、「本件に関しあなたの提出にかかる証拠書類を調査し併せて本局協議団の意見を徴すると決定の再評価差額に誤りがありましたから高岡税務署長のなした決定の再評価差額金五、八二〇、〇〇〇円を一部取消し金一、五三七、六〇〇円とします。」と附記されていた。

三、被告のなした審査決定は違法である。

(一) 右審査決定には具体的な理由が附記してないから違法である。

資産再評価法によれば、再評価額等の更正処分に関する審査決定には理由の附記が必要であり、しかもその理由は判断の根拠を納税者に理解できる程度に具体的に記載しなければならないのに、本件審査決定には前記のとおり「一部理由があるから取消す」という結論を表わしたにすぎず結論に至つた具体的理由は書かれてないから、法の要求する程度の理由の附記がなかつたものといわざるをえず、被告の本件裁決は違法たるを免れない。

なお、被告主張の日附の審査決定理由追完の書面が原告に送達されたことは争わないが、裁決後五年余を経たのちの追完は許さるべきではない。

(二) 仮に審査決定に附記された理由が適法なものとしても、右決定は判断を誤つたものである。

被告は東京都港区赤坂新坂町一三番地宅地七六二・六一坪につき、原告はこれを昭和二一年二月一六日に訴外日産汽船株式会社から金二四〇、〇〇〇円で譲受け、昭和二七年三月三〇日に訴外高橋庄八郎へ金六、〇〇〇、〇〇〇円で譲渡したが、その際譲渡に関する経費として金七五〇、〇〇〇円を要したものと認定しているが、これは誤りである。すなわち、

(1) 原告は本件宅地を昭和二一年六月訴外島谷次平から四八五、〇〇〇円で譲受け、被告主張の日に被告主張の金額で高橋庄八郎に譲渡したが、その際譲渡に関して要した経費は金四、〇〇〇、〇〇〇円である。詳言すれば、

(イ) 原告は本件宅地を前記のとおり島谷次平から買受けたのであるが、島谷は昭和二一年二月これを日産汽船から荻布宗太郎名義で買受けたものである。これは島谷が同会社に関係のある荻布宗太郎の名前を利用したものに外ならない。

(ロ) 仮に日産汽船からの買受人が荻布宗太郎であるならば、原告は昭和二一年六月同人から本件宅地を譲受けたものであることを予備的に主張する。

(ハ) 譲渡に関する経費は、被告主張の金七五〇、〇〇〇円の外に、整地費、器具資材費、雑費等金三、二五〇、〇〇〇円が存在する。

すなわち、本件宅地は空襲により廃虚と化していたものであつて、原告がこれを取得した昭和二一年六月頃は七〇〇余坪もある宅地には不発弾が数発埋つており、破壊された建物の残がいは山積し、近所からの石塊、その他の捨て場所になつていたので、これらを取除いて整地する必要があり、そのほかボイラー等の資材を買入れたりなどしたので、これらの費用の合計は金三、二五〇、〇〇〇円に達しているのである。

(2) したがつて再評価額等はつぎのようになる。

(イ) 再評価額は、原告が本件宅地を取得したのは昭和二一年六月であつて財産税調査時期たる同年三月三日午前〇時(昭和二一年法律第五二号財産税法第一条)以後であるから、資産再評価法第二一条第二項、別表第五により取得価格金四八五、〇〇〇円の一三倍、すなわち金六、三〇五、〇〇〇円となる。

(ロ) 再評価差額は同法第四二条第四項、第一項第二号により譲渡価額金六、〇〇〇、〇〇〇円から譲渡に関する経費金四、〇〇〇、〇〇〇円と取得価額金四八五、〇〇〇円とを控除したもの、すなわち金一、五一五、〇〇〇円となる。

算式

譲渡価額 譲渡に関する経費 取得価額  再評価差額

6,000,000円-(4,000,000円+485,000円)=1,515,000円

(ハ) 再評価税額は同法第四四条により再評価差額金一、五一五、〇〇〇円に一〇〇分の六を乗じて計算した金額すなわち金八四、九〇〇円となる。

(3) 被告は原告に対し無申告加算税額を賦課したけれどもこれは違法である。

なるほど、原告は申告期日を徒過した昭和二八年五月四日に再評価の申告をした。しかしながら、高岡税務署資産税係長池村事務官は原告に対し右期限徒過については不問に付する旨確約していたのであるから、被告が原告に対し無申告加算税額を賦課したのは違法である。

四、したがつて、原告の昭和二七年分の再評価額は金六、三〇五、〇〇〇円、再評価差額は金一、五一五、〇〇〇円であることは以上にのべたとおりであるのに、それ以上にあるものとしてなされた被告の審査決定、さらに原告の申告書がその提出期限後に提出されたものとしてなされた無申告加算税賦課決定は明らかに違法である。よつてその取消、変更を求める。

第二、被告訴訟代理人は答弁としてつぎのように述べた。

一、原告主張の一、二の事実はいずれも認める。三の事実のうち、原告が本件宅地を高橋庄八郎に金六、〇〇〇、〇〇〇円で売却したことは認めるが、その他の事実は否認する。

二(イ) 仮に本件審査決定の理由附記に欠陥があつたとしても、被告は昭和三五年七月二九日附の審査決定通知書と題する書面をもつて本件審査決定の理由を追完し、右書面は一両日後に原告に到達したから、理由附記の欠陥は治癒された。

(ロ) 仮に本件審査決定が理由の附記を欠く無効なもので、理由附記の追完によつてはその違法が治癒されないものならば、右審査決定通知書と題する書面の送付によつて改めて審査決定がなされたものであることを予備的に主張する。

三、再評価の対象たる本件宅地は、原告が昭和二一年二月一六日に日産汽船から金二四〇、〇〇〇円で買受け、昭和二七年三月三〇日これを高橋庄八郎に金六、〇〇〇、〇〇〇円で売却したが、その際譲渡に関する経費として金七五〇、〇〇〇円を要したものである。

したがつて再評価額等はつぎのようになる。

(イ) 再評価額は、原告が本件宅地を取得したのは昭和二一年二月一六日で前記財産税調査時期以前であるから、資産再評価法第二一条第二項により本件宅地の財産税評価額(金一〇九、八三〇円)を一五倍した金一、六四七、四五〇円である。そうして財産税評価額は財産税法第二五条により賃貸価格(金三、六六一円)に三〇を乗じて計算した金額である。

算式

賃貸価格 財産税評価額

3,661円×30=109,830円

財産税評価額  再評価額

109,830円×15=1,647,450円

(ロ) 再評価差額は、譲渡価額金六、〇〇〇、〇〇〇円から譲渡に要した経費金七五〇、〇〇〇円を控除した金額金五、二五〇、〇〇〇円が再評価額金一、六四七、四五〇円を上まわるので、資産再評価法第四二条第四項本文により再評価額金一、六四七、四五〇円から財産税評価額金一〇九、八三〇円を控除した金額、すなわち金一、五三七、六二〇円となる。

算式

再評価額 財産税評価額 再評価差額

1,647,450円-109,830円=1,537,620円

(ハ) 再評価税額は同法第三七条第二項、第四四条により再評価差額金一、五三七、六二〇円から金一〇〇、〇〇〇円と控除したものに一〇〇分の六を乗じて計算した金額、すなわち金八六、二五〇円となる。

算式

再評価差額            再評価税額

(1,537,620円-100,000円)×6/100=86,250円

(ニ) 原告は再評価の申告を申告期限(昭和二八年二月末日)後である同年五月四日になし期限内に申告書を提出しなかつたことについて正当な事由が認められないので、原告に対し無申告加算税額を徴収することとし、右税額は同法第八〇条により原告申告の再評価税額金七二、九〇〇円および更正による追徴税額金一三、三五〇円(審査決定における金八六、二五〇円から申告額金七二、九〇〇円を控除したもの)のいずれも金一、〇〇〇円未満の端数を切捨てたものの合計に一〇〇分の二〇を乗じて計算した金額、すなわち金一七、〇〇〇円となる。

算式

再評価税額 追徴税額      無申告加算税額

(72,000円+13,000円)×20/100=17,000円

もつとも、被告は誤つて無申告加算税額を金一二、九〇〇円と裁決したが、これは右金一七、〇〇〇円の範囲内においてなされたものとして適法である。

以上のとおりであつて被告のした決定にはなんらの違法もない。

II  富裕税

第一、原告訴訟代理人は、原告に対する昭和二六、二七年分富裕税に関する各審査決定の取消および各更正処分の変更を求める申立の請求原因として、つぎのように述べた。 一、審査決定に至るまでの経過

(一) 昭和二六年分について

(1) 原告は昭和二七年二月二九日高岡税務署長に対し原告の昭和二六年分富裕税に関し、

財産価額 四九、六四一、五六〇円

債務金額 二三、九九二、六八九円

課税価格 二五、六四八、八七一円

富裕税額    二三七、九七〇円

と申告したが、その後宅地につき申告洩れがあつたので修正申告しようとした。ところが高岡税務署長は事務処理上の都合で更正処分の形式をとることとし、昭和二九年二月二四日附で

財産価額     五一、四七一、八二〇円

債務金額     二三、九九二、六八九円

課税価格     二七、四七九、一三〇円

富裕税額        二七四、五八〇円

と更正した。ただし、取扱としては修正申告と同一の取扱をすることになつていた。

その後原告は昭和三〇年一月一八日高岡税務署長に対し同署から東京都港区赤坂新坂町一三番地宅地七六二・六一坪が申告洩れになつているから修正申告せよと要求され、その指示されるまま

財産価額     五三、四八五、三七〇円

債務金額     二三、九九二、六八九円

課税価格     二九、四九二、六八一円

富裕税額        三一四、八五〇円

と修正申告をした。

(2) これに対し高岡税務署長は昭和三〇年七月一九日附でさらに

財産価額     六一、二一八、一二〇円

債務金額     二三、九九二、六八九円

課税価格     三七、二二五、四〇〇円

富裕税額        四六九、五〇〇円

過少申告加算税額      二、〇〇〇円

重加算税額        七七、〇〇〇円

と再更正した。

(3) 原告は右再更正処分および附加税賦課処分に異議があるので昭和三〇年八月一日被告に対し審査請求をしたところ、被告はこれに対し昭和三一年七月九日附で審査請求を棄却する旨の審査決定をした。原告はその頃審査決定通知書を受取つたが、それには審査決定の理由として「あなたの審査請求に付て請求の趣旨其他の経営の状況等を勘案して審査しますと高岡税務署長の行つた更正には誤りがありませんので審査請求は棄却します」と附記されていた。

(二) 昭和二七年分について

(1) 原告は昭和二八年三月一六日高岡税務署長に対し原告の昭和二七年分富裕税に関し

財産価額     三二、九四八、一四六円

債務金額      五、〇一一、六一〇円

課税価格     二七、九三六、五三六円

富裕税額        二八三、七三〇円

と申告した。

(2) これに対し高岡税務署長は昭和二八年一二月四日附で

財産価額     四〇、九四三、七三八円

債務金額      四、九六五、三二〇円

課税価格     三五、九七八、四〇〇円

富裕税額        四四四、五六〇円

重加算税額        八〇、〇〇〇円

と更正し、原告はその頃その通知を受取つた。しかし、原告は、右更正処分および附課税賦課処分に異議があるので、昭和二八年一二月二一日高岡税務署長に対し再調査の請求をした。

(3) 高岡税務署長は、右再調査請求に対しなんらの決定もしないまま、昭和二九年二月一二日附でさらに

財産価額     四〇、九四三、七三八円

債務金額      五、〇一一、六一〇円

課税価格     三五、九三二、一〇〇円

富裕税額        四四三、六四〇円

重加算税額        七九、五〇〇円

と更正し、次いで同年三月一五日附で再調査請求を棄却し、いずれもその頃原告はその通知を受けた。

(4) そこで原告は同年四月一〇日被告に対し審査請求をしたところ、被告はこれに対し昭和三〇年四月一三日附で再調査決定に対する審査請求(本審査)については棄却、更正処分に対する審査請求(副審査)については却下との審査決定をした。原告はその頃審査決定通知書を受取つたが、それには本審査決定の理由として「本件に関しあなたの提出にかかる証拠書類を調査し併せて本局協議団の意見を徴すると請求にかかる不服の事由については資産の申告洩がありますので高岡税務署長のなした再調査決定は正当と認めます。」と附記され、副審査決定の理由として「本審査の決定により原処分に対する判断がなされているので更に副審査の請求について実質的審理をなす実益がないから却下します。」と附記されていた。

(5) その後高岡税務署長は昭和三〇年七月八日附で、同署長が昭和二九年二月一二日附でなした原告に対する昭和二七年分富裕税に関する更正処分をさらに

財産価額     四八、二二四、六七七円

債務金額      五、〇一一、六一〇円

課税価格     四三、二一三、〇〇〇円

富裕税額        五八九、二六〇円

重加算税額        七二、五〇〇円

と更正し、その頃原告はその通知を受取つた。

(6) 右通知書には「国税局職員の調査により」との附記があつたので、原告は再調査の請求を経ることなく昭和三〇年八月一日被告に対し審査の請求をしたところ、被告はこれに対し昭和三一年六月二六日附で棄却の審査決定をなした。原告はその頃審査決定通知書を受取つたが、それには審査決定の理由として「あなたの審査請求の趣旨その他の状況等を勘案して審査しますと高岡税務署長の行つた更正には誤りがありませんので審査請求は棄却します。」と附記されていた。

二、被告のなした各審査決定は違法である。

(一) 本件各審査決定には具体的な理由が附記してないから違法である。

富裕税法によれば、審査決定には理由の附記が必要であり、しかもその理由は判断の根拠を納税者に理解できる程度に具体的に記載しなければならないのに、本件各審査決定にはいずれも右程度の理由の附記がなかつたのであるから、被告の本件裁決は違法たるを免れない。

なお、被告主張の日附の各審査決定理由追完の書面が原告に送達されたことは争わないが、裁決後四年余を経たのちの追完は許さるべきではない。

(二) 仮に附記された理由が適法なものであるとしても、右各決定は判断を誤つたものである。

(1) 原告の昭和二六年一二月三一日および昭和二七年一二月三一日の各午後一二時(富裕税法第一条第一項に定める課税時期)現在の財産は別表第一および第二の各原告主張金額欄記載のとおりである。

被告が、昭和二六年課税時期現在における原告の財産として別表第一の被告主張金額欄において主張するもののうち、(一)資産では1の(イ)、(ロ)、2、3、4の(ホ)、5の(ロ)、6、7、8、9、10の(イ)、(ハ)、11の(ロ)、12、13、14、15、16、17、18、19の(ロ)、20、(二)負債では1、2の(ロ)、3、4、5、6、7、8、9、10についてはこれを認める。

また、被告が昭和二七年課税時期現在における原告の財産として別表第二被告主張金額欄において主張するもののうち、(一)資産では1の(ハ)、2、3、4の(ホ)、5、6、7、8、9の(ハ)のb、(ヘ)、10の(ハ)、(二)負債では1、2の(イ)のb、(ロ)、3、4についてはこれを認める。その余の部分はいずれもこれを争う。

(2) 被告主張の三の(一)、(二)の事実中、被告主張のような宅地と株式とがいずれも原告の申告もれであつたことは認めるが、その余の事実はいずれも争う。

(3) 被告主張の(三)の事実は否認する。被告が主張する定期預金は、原告の全くあずかり知らないところの訴外荻布宗太郎に属するものである。

(イ) 被告が架空経費の計上と主張する点について

原告は架空経費を計上したことはない。被告が架空経費なりと主張するものはすべて原告が実際に支払をした機場用品代金、修繕費および接待費である。

当時機場用品のこまごまとした部品や消耗品等は統制等の関係もあつて行商人的なブローカーから買つたり、問屋の店員がその所属店を通さないで持つてくるものを買つたりしたことが多くあつた。このようなブローカーは自分の名前が表面に出ることを好まず、領収書等にも架空名義を用い、また全部現金取引であるため領収書を発行しない者も多かつた。また、ある程度の接待もせざるを得なかつた。このような場合はすべて現金払を要するものであり、しかも突然であることが多かつた。しかるに原告機業場は手形取引を主としていたため現金の手持がないことが多く、しばしば近所に住む原告の父荻布宗太郎から現金を寸借してこれらの支払を賄つていた。原告機業場ではこの借金を毎月末に宗太郎に返済しなければならないので、北陸銀行御馬出支店の原告の当座から小切手で弁済金相当額を引出し、これを弁済した。宗太郎はその弁済金を同支店へ定期預金または通知預金としたが、その際銀行側の考えた適当な名義の幾口かの預金にしたのである。

(ロ) 被告が売上計上洩と主張する点について

原告には帳簿上誤りがない。横浜内外織物株式会社との取引では、同社から受取つた約五、六〇通の手形の原告の表示はすべて荻布機業場となつており、荻布一郎宛のものは一通もない。

(4) 被告主張の三の(四)の事実中、昭和二六年分の仕掛品の単価が金一三、四三七・五円であることは認めるが、その余の事実は否認する。昭和二六年課税時期における仕掛品の在庫数量は一八五・四四貫であるから、その価額は右数量に前記単価を乗じて計算した金額、すなわち金二、四九一、八五〇円である。また昭和二七年課税時期における仕掛品の在庫数量は一五一・七七貫であり、単価は金一四、三四八・二円であるから、その価額は金二、一七七、六二六円である。

(5) 被告主張の三の(五)の事実については、被告主張の分譲住宅を建設したことは認めるが、これを月賦販売したものではない。

原告は以前にも分譲住宅を建設して売却したことがあるが、その際代金回収不能となつた苦い経験があるので、本件分譲住宅の際には、売買や月賦販売という形式をとらず、住宅を買受予定者に無償で使用させ、同人から毎月一定額以上を原告宛に積立てさせ、この積立金が適当な金額になつたときに初めて原告と買受予定者との間で代金を定めて売買契約をするという方法をとつたのである。したがつて売買が成立するまでは、右住宅は原告の資産であるからこれを資産として計上し、買受予定者からの積立金は原告の預り金であるから負債として計上すべきものである。

もつとも、最初に建つた二戸(大浦、竹腰に引渡した分)については、まだ右の方針が完全に決つていなかつたので、一応売買価格を金一五〇、〇〇〇円と予定し、その金額で売買したかのように取扱つてこれを未収金勘定に入れて処理した。しかし、他の一〇戸については、方針が確定した後であつて、使用貸借と積立金の方法で契約したものであり、各課税時期現在まだ売買契約締結にまで至つていなかつたのであるから、右住宅金一、一五七、二七六円を資産に計上するとともに、原告宛の積立金昭和二六年分金三七九、五〇〇円、昭和二七年分金六二〇、七〇〇円を負債に計上した。なお、原告は事前に高岡税務署に対して以上の事実を開陳し、このような経理上の処理をすることについて同署の了解を得ていたものである。

(6) 被告主張の三の(六)の事実は否認する。被告主張の清算取引を行つたのは訴外守越七蔵である。

(7) 被告主張の三の(七)の事実中、屑糸の単価が金四、〇〇〇円であつたことは認めるが、その余の事実は否認する。屑糸の昭和二七年課税時期現在の在庫数量は一六〇貫である。

(8) 被告主張の三の(八)(九)の事実は、いずれも否認する。

(9) 被告主張の四の(二)の事実は否認する。原告が昭和二七年分富裕税に関し当初申告したもののうち、宅地、株式、生命保険、事業用機械設備について、後に訂正すべきものがあつたことは認める。そのうち、株式と事業用機械設備は、申告当時評価基準未定のため後日修正すべく高岡税務署と了解済のものであり、宅地と生命保険についてては一部計算違いをしていたものである。しかしその外に計算脱ろうはないし、まして財産を隠とくしていたことはない。

三、原告の昭和二六、二七年各課税時期現在の財産は以上に述べたとおりであるのに、それ以外に原告の財産があるものとしてなされた被告の審査決定、高岡税務署長の更正処分、さらには財産を過少に申告し、あるいは隠ぺいしたものとしてなされた附加税賦課処分は明らかに違法である。よつてその取消、変更を求める。

第二、被告訴訟代理人は答弁としてつぎのように述べた。

一、原告の請求原因事実一のうち、(一)の(2)、(3)および(二)((1)ないし(6))の事実は認める。(一)の(1)の事実中、原告主張の日附、金額による申告、更正処分および修正申告がなされたことは認めるが、その余の事実は争う。請求原因事実二の(一)の原告の主張は争う。同二の(二)の事実については後記三のとおりである。

二(一) 仮に、本件各審査決定の理由の附記に欠陥があつたとしても、被告は昭和三五年七月二九日附の審査決定通知書と題する各書面をもつて右各決定の理由を追完し、右書面は一両日後に原告に到達したから、理由附記の欠陥は治癒された。

(二) また、仮に、本件審査決定が理由の附記を欠く無効なもので、理由附記の追完によつてはその違法が治癒されないものならば、前記審査決定通知書と題する書面の送付によつて改めて審査決定がなされたものであることを予備的に主張する。

三、原告の昭和二六年一二月三一日および昭和二七年一二月三一日の各午後一二時現在の財産は別表第一および第二の各被告主張金額欄記載のとおりである。そこで、原告主張の金額と合致しない項目につき、被告認定の根拠をつぎに分説する。

(一) 宅地

原告は、昭和二六、二七年の各課税時期現在の原告所有の宅地としてそれぞれ主張しているものの外に、つぎの(イ)、(ロ)の二筆を有していたのにこれらを申告していない。右宅地の各課税時期現在の評価額はつぎのとおりである。

(所在地)

(昭和二六年分)

(昭和二七年分)

(イ) 東京都練馬区谷原町一ノ一五二ノ六六(八八坪)

三五、二〇〇円

四五、七六〇円

(ロ) 右同所一ノ一五四ノ三五(一六三坪)

六五、二〇〇円

八四、七六〇円

しかして、宅地の評価については、富裕税法は単に時価によると規定するのみで、特に具体的評価規定を設けていないため、税務官庁においては宅地の評価のため毎年宅地等の売買実例を調査して、これに基いて標準的評価倍数を算出し、右倍数を宅地の賃貸価格に乗じて宅地の時価を算定する方式を採用している。したがつて、本件宅地についても、被告は右評価方法に従い、その賃貸価格((イ)は三五円二〇銭、(ロ)は六五円二〇銭)に当該宅地の所在地域の宅地の評価倍数((イ)、(ロ)とも昭和二六年度は一、〇〇〇、昭和二七年度は一、三〇〇)を乗じて計算したものである。

(二) 株式

原告は、昭和二六、二七年の各課税時期現在の所有株式として各主張しているものの外につぎの(イ)ないし(ニ)の四銘柄を所有していたのに、これらを申告してない。右株式の各課税時期現在の株式数および評価額はつぎのとおりである。

(銘柄)

(昭和二六年分)

(昭和二七年分)

(イ)東京瓦斯

三〇〇株(一六、五〇〇円)

六〇〇株(四五、六〇〇円)

(ロ)中央繊維

二八〇株(二一、八四〇円)

二八〇株(二六、六〇〇円)

(ハ)帝国製麻

四八〇株(四七、〇四〇円)

四八〇株(六三、三六〇円)

(ニ)東邦レーヨン

四〇〇株(四九、六〇〇円)

八〇〇株(八八、八〇〇円)

しかして株式の評価は、富裕税法第一四条に基き証券取引法第一二二条第二項により公表されたその年一二月中の毎日の最終価格の平均額によつたものである。

(三) 預金

原告は、昭和二六、二七年各課税時期現在、その有すると主張する預金の外に、別表第三、第四に記載のごとき架空名義の預金を有していたのに、これらを申告していない。

すなわち、原告は、北陸銀行御馬出支店に、昭和二六年一二月三一日現在別表第三記載のとおり木津秀二外三三名の架空名義による通知預金三四口(その金額三、七三〇、八四〇円)および飯坂友信外三八名の架空名義による定期預金三九口(その金額三、五二二、〇〇〇円)合計金七、二五二、八四〇円の預金を、昭和二七年一二月三一日現在別表第四記載のとおり重村節子外八八名の架空名義による定期預金八九口(その金額六、九九九、九二〇円)および無記名定期預金一〇口(その金額三、一〇五、〇〇〇円)合計金一〇、一〇四、九二〇円の定期預金をそれぞれ有していたものである。

しかして、これらの定期預金はいずれも昭和二六年頃から発生したものであつて、原告はつぎのような架空経費の計上、売上脱ろう等の巧妙な手段により長期間に亘り資金を捻出し、簿外預金を造成したものである。

(1) 架空経費の計上

原告機業場が昭和二六、二七年を通じて支出した架空経費の総額は少くとも金三、三一二、一三〇円を下らないのであつて、その内訳は別表第五記載のとおりである。原告は、右架空経費の処理に当り、帳簿上は一応原告機業場の需品を訴外堀井仁三郎等から買入れたように仮装経理し、これに関する領収証等は原告の事務員守越七蔵が支払先から受取つたように装つて支払先名義のものを作成し、さらに右架空経費の支払として北陸銀行御馬出支店宛の持参人払いの小切手を振出した上で、自ら架空仕入の取引先名をその裏面に記載してあたかも右取引先が支払を受けたように装い、このようにして受領した金員をもつて前記架空名義の定期預金等を造成したものである。右架空経費による捻出資金は、昭和二六年分においては少くとも金一、四三九、八四〇円、昭和二七年分においては少くとも金一、八七二、二九〇円で、このうち阿部太吉等名義の通知預金、定期預金等に転化したことの明らかなのは昭和二六年分金一、三四〇、八四〇円、昭和二七年分金一、五七〇、〇〇〇円合計金二、九一〇、八四〇円である。

(2) 売上計上洩

原告は昭和二六年中横浜内外織物株式会社に対し機業場製品一、〇〇〇、〇〇〇円を売渡し、右商品代金として同社振出の約束手形(番号第八四八号、金額一、〇〇〇、〇〇〇円、振出人横浜内外織物株式会社、振出日昭和二五年一一月二八日、受取人原告、満期昭和二六年二月二五日)を受取り、昭和二六年二月一七日菅村良道名義で右手形の取立を北国銀行に依頼し、同月二八日同行より手形金の支払を受けているのに、これを原告の原簿、元帳等の関係帳簿に登載しないで売上を脱ろうし、右金員をもとにして前記架空名義定期預金等の造成を図つたものである。

(四) 仕掛品

昭和二六年課税時期現在の仕掛品の在庫数量は三七二、〇四一貫であり、単価(貫当り、以下同じ)は金一三、四三七・五円であるから、その金額は金四、九九九、三〇〇円である。また、昭和二七年課税時期現在の仕掛品の在庫は二二〇・六三六貫であり、単価は金一六、二三七円であるから、その金額は金三、五八二、四六六円である。しかして単価認定の根拠は、例を昭和二七年度にとれば、同年中の総製造費金一〇、五四七、四三八円を同年中の投入原糸量二、七九二・〇五貫(繰越原糸量二一二・六八〇貫に仕入原糸量二、七〇九・二八八貫を加算した二、九二一・九六八貫から期末在庫原糸量一二九・九一八貫を控除したもの)で除し、一貫当りの製造負担額金三、七七八円を算出し、これに仕掛品の完成度合五〇%を乗じて一貫当りの製造費附加額金一、八八九円を算出し、これを原告主張の原糸価格(一貫当り)金一四、三四八円に加算して金一六、二三七円と算出したものである。

(五) 住宅、月賦販売未収金および仮受金(野村らからの)

原告は昭和二五年に富山県新湊市放生津西浜に一二戸の分譲住宅を建設し、これを一二名の分譲希望者に引き渡して居住させたが、そのうち大浦外一名に引渡した二戸については、当時既に売買契約が成立したものとして、右二戸を原告の資産から除外するとともに、未払代金を未収金として資産に計上した。しかしながら、越野雄三外九名に引渡した一〇戸については、未だ売買契約は成立しておらず、越野らからは月々積立金を徴収しているのにすぎないとして右一〇戸の建物を原告の資産に計上するとともに、受領した積立金を仮受金として負債に計上するという処理を行つている。

しかしながら、右一〇戸の建物も、大浦外一名に対する建物と同様日原告が別表第六記載のとおり越野雄三外九名に対し販売額合計金二、四八一、九〇〇円で月賦販売したものであるから、これを原告の財産として評価するに当り、右建物を資産に計上し、支払われた割賦金を仮受金として負債に計上することは正当ではない。そこで被告は、右の住宅および仮受金の各項目を削除するとともに、一方原告は別表第六記載のとおり越野雄三外九名に対し昭和二六年一二月三一日現在金一、一〇二、四〇〇円、昭和二七年一二月三一日現在金八六一、二〇〇円の月賦販売残存債権を有していたのであるから、これを月賦販売未収金として各年度の資産項目に計上した。

(六) 預ケ金債権

原告は石黒平吉名義で亀井株式会社に委託して横浜生糸取引所において生糸の清算取引を行つていたが、右取引から生じた同会社に対する預ケ金が昭和二六年一二月三一日現在金七七、四二八円、昭和二七年一二月三一日現在金四二七、五二八円あつたのに、これらを申告していない。

(七) 屑糸(昭和二七年分)

原告は昭和二七年一二月三一日現在屑糸を一一一貫もつており、その単価(一〇貫当り)は原告申告のとおり金四、〇〇〇円であるから、その価額は四四、四〇〇円である。

(八) 原糸(昭和二七年分)

原告は昭和二七年一二月三一日現在一二九・九一八貫の原糸を有していたのにこれを申告していない。そうして原糸の貫当りの単価は金一四、三四八円であるから、原告所有の原糸の価額は金一、八六四、〇五一円である。

(九) 家庭用動産(昭和二七年分)

原告は昭和二七年一二月三一日現在金二〇〇、〇〇〇円相当の家庭用動産を有していたのに、これを申告していない。

四(一) 過少申告加算税額

原告の昭和二六年分富裕税の申告は、前記のとおり誤つていたことについて正当な事由が認められないので、富裕税法第三四条第一項の規定により過少申告加算税額金一、八〇〇円および金二、〇〇〇円を課税した。

(二) 重加算税額

原告は前記のごとく北陸銀行御馬出支店に架空名義で定期預金等をなしたり、また亀井株式会社との清算取引を石黒平吉名義とするなど課税価格の計算の基礎となる事実を隠ぺいまたは仮装したことが認められるので、富裕税法第三五条第一項により昭和二六年分については金七七、〇〇〇円、昭和二七年分については金七九、五〇〇円および金七二、五〇〇円の重加算税額を課税した。

五 以上のとおりであつて、被告のした決定にはなんらの違法もない。

(証拠)〈省略〉

理由

一、まず、原告の昭和二七年分富裕税について、被告が昭和三〇年四月一三日附でなした審査決定の取消、および高岡税務署長が昭和二九年二月一二日附でなした更正処分の変更を求めている部分について判断するに、右更正処分がその後さらに昭和三〇年七月八日附で高岡税務署長により再更正されたことは当事者間に争いがない。そうだとすれば、右更正処分はその後再更正がなされたことによつて当然消滅に帰したものであり、さらにその消滅するに至つた更正処分に関してなされた被告の審査決定もまた、これだけが独立に効力を存続するいわれはないのであるから、右審査決定の取消および更正処分の変更を求める訴はその対象を欠くものとして却下すべきものである。

二、つぎに、原告は被告のなした各審査決定、すなわち(一)原告の昭和二七年分再評価税に関する審査請求の一部取消決定、(二)原告の昭和二六年分富裕税に関する審査請求の棄却決定、(三)原告の昭和二七年分富裕税に関する審査請求の棄却決定(昭和三一年六月二六日附)には資産再評価法および富裕税法の要求する理由の附記がいずれもないから、これを違法として取消すべきものであると主張する。そうして、被告がなした各審査決定の通知書には、理由として、(一)については「本件に関しあなたの提出にかかる証拠書類を調査し、併せて本局協議団の意見を徴すると、決定の際の再評価差額に誤りがありましたから、高岡税務署長のなした決定の再評価差額金五、八二〇、〇〇〇円を一部取消し、金一、五三七、六〇〇円とします。」、(二)および(三)については「あなたの審査請求について請求の趣旨その他の経営の状況等を勘案して審査しますと、高岡税務署長の行つた更正には誤りがありませんので審査請求は棄却します。」と記載されていたことは当事者間に争いのないところである。右各理由が審査決定の理由として必ずしも十分であるといえないことは認めざるをえない。しかしながら、審査決定の当否を審査する抗告訴訟においては、審査決定の結論が違法であるか否かに基いてこれを維持すべきか否かを決すべきであつて、審査決定に附してあつた理由が不備であるということだけでただちに審査決定を取消すことは許されないものであると解すべきである。けだし、右の各審査決定につきいつたん抗告訴訟が提起されれば、裁判所は行政庁の附した理由の当否だけを審査するものではなく、当該審査決定が違法であるか否かにつき当該審査決定の基くところの法規全般について審査すべきであり、したがつて審査決定を受けた者も審査請求のとき主張しなかつた攻撃方法を訴訟手続において主張することを妨げないし、行政庁においてもまた当該審査決定に附した理由以外の理由を主張して審査決定が維持さるべきものであると主張することを妨げないからである。したがつてこの点に関する原告の主張は理由がない。

(再評価税)

三、再評価税に関する原告主張の請求原因一、二の事実ならびに本件再評価税の対象である東京都港区赤坂新坂町一三番地宅地七六二・六一坪を原告が昭和二七年三月三〇日訴外高橋庄八郎に金六、〇〇〇、〇〇〇円で譲渡したことはいずれも当事者間に争いがない。

その方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第三号証の一、同第四号証の一、二、証人石瀬保彦の証言により真正に成立したものと認められる乙第三号証の二ないし五、成立に争いない乙第四号証の三、同第七三号証、同甲第五号証によれば、原告は昭和二一年二月一六日本件宅地を代理人島谷次平をとおして訴外日産汽船株式会社から代金二四〇、〇〇〇円で買受け、これを高橋庄八郎へ前記金額で売却する際その経費として金七五〇、〇〇〇円を要したことが認められる。もつとも、前出乙第三号証の二によれば、日産汽船からの本件宅地の譲受人として訴外荻布宗太郎の名前が記載されているが、これは前出乙第三号証の一により認められるように原告の父である宗太郎が以前同社の役員をしていた関係上、原告が同社との本件取引を有利にする目的で宗太郎名義を利用したものと考えられるのであつて、前出乙第七三号証、同甲第五号証に本件宅地の所有権取得者として原告の名前のみ記載され、宗太郎の名前が全然記載されてない事実は右認定に沿うものである。そうして、前記認定に反する証人守越七蔵の証言(第一、二回)は、証人川田三郎の証言および同人の供述を録取した乙第六九号証に徴するも、たやすく措信しがたいし、本件宅地の譲渡に要した経費として前記認定金額の外に整地料などとして金二、九三〇、三五〇円支払つたという乙第五三号証の一ないし四および右支払の資金源泉が存在したという乙第五四号証の一、二は、その方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第六一号証、同第五四号証の三に照らして、いずれも支払あるいは預金の事実がないのに原告から依頼されて発行した架空の領収書ないしは証明書であることが明らかであるから採用の限りではなく、また甲第二四号証も前記認定を覆えすに足らないし、その他前記認定を左右するに足る証拠はない。

そこで本件審査決定の当否を判断するに、原告の本件宅地の取得時期は、右にみたように財産税調査時期である昭和二一年三月三日午前〇時以前であるから、右宅地の再評価額はその財産税評価額の一五倍の金額であり、財産税評価額は宅地の賃貸価格にその所在地の所轄国税局長において定める倍数を乗じて算出した金額であるところ、成立に争いのない乙第七四号証によれば本件宅地の賃貸価格は金三、六六〇・五二円であり、証人石瀬保彦の証言により真正に成立したと認められる乙第五号証の一、二によればその倍数は三〇であることがそれぞれ認められるから、財産税評価額は右賃貸価格金三、六六〇・五二円に三〇を乗じて計算した金額、すなわち金一〇九、八一五・六円となり、再評価額は右金額に一五を乗じて計算した金額、すなわち金一、六四七、二三四円となる。つぎに再評価差額は、原告の本件宅地の譲渡価額金六、〇〇〇、〇〇〇円から譲渡に要した経費金七五〇、〇〇〇円を控除した金額金五、二五〇、〇〇〇円が右再評価額を上まわるので、再評価額から財産税評価額を控除した金額、すなわち金一、五三七、四〇〇円(一〇〇円未満の端数切捨)となる。したがつて再評価額は再評価差額から金一〇〇、〇〇〇円を控除したものに一〇〇分の六を乗じて計算した金額、すなわち金八六、二四〇円(一〇円未満の端数切捨)となる。

つぎに、無申告加算税賦課処分の適否について判断するに、原告が本件再評価の申告をしたのは申告期限である昭和二八年二月末日を経過した同年五月四日であることは当事者間に争いがない。

原告は、右期限内に申告書を提出しなかつたことにつき、高岡税務署資産税係長池村事務官は原告に対し右期限徒過の点は不問に付する旨の確約をしたと主張する。しかしながら、右主張に沿う証人守越七蔵の証言(第一、二回)は証人池村富厚の証言に照らしてたやすく措信しがたいし、他にこれを認めるに足る証拠もないので、原告の右主張は理由がない。そうして、本件全証拠によるも、原告が期限内に申告書を提出しなかつたことについて正当な事由があつたとは認められないから、再評価税額金八六、二四〇円(一、〇〇〇円未満の端数切捨)に一〇〇分の二〇を乗じて計算した金額、すなわち金一七、二〇〇円の無申告加算税を賦課されることになる。

以上の次第で、被告のなした本件審査決定の一部取消を求める本訴請求中、再評価額については金一、六四七、二三四円を超える部分、再評価差額については金一、五三七、四〇〇円を超える部分、再評価税額については金八六、二四〇円を超える部分(無申告加算税額については、被告のなした決定は金一七、二〇〇円の範囲内であるから適法である。)の各取消を求める部分は理由があるからこれを認容すべく、その余の請求は理由がないからこれを棄却すべきものである。(なお、原告は請求の趣旨として「一、(イ)被告が昭和三〇年四月一三日附でなした原告に対する昭和二七年分再評価税に関する審査決定を取消す。(ロ)被告は、被告が同日附で原告に対する昭和二七年分再評価税に関し再評価額金一、六四七、四五〇円、再評価差額金一、五三七、六〇〇円、再評価税額金八六、二五〇円、無申告加算税額金一二、九〇〇円と決定したのを、再評価額金六、三〇五、〇〇〇円、再評価差額金一、五一五、〇〇〇円、再評価税額金八四、九〇〇円、無申告加算税額不徴収にそれぞれ変更せよ。」と述べているのであるが、右は結局被告のなした審査決定中原告主張の金額を超える部分の一部取消を求めているものと解せられるので、これを右趣旨に解釈して判断した。)

(富裕税)

四、富裕税に関する原告主張の請求原因一(ただし、(一)の(1)に関しては原告主張の日附、金額による申告、更正処分および修正申告がなされた点のみ)の事実、ならびに原告の昭和二六年課税時期現在の財産として別表第一に記載されているもののうち、資産では1の(イ)、(ロ)、2、3、4の(ホ)、5の(ロ)、6、7、8、9、10の(イ)、(ハ)、11の(ロ)、12、13、14、15、16、17、18、19の(ロ)、20、負債では1、2の(ロ)、3、4、5、6、7、8、9、10、および昭和二七年課税時期現在の財産として別表第二に記載されているもののうち、資産では1の(ハ)、2、3、4の(ホ)、5、6、7、8、9の(ハ)の(b)、(ヘ)、10の(ハ)、負債では1、2の(イ)の(b)、3、4についてはいずれも当事者間に争いがない。

そこで、原告の昭和二六、二七年の各課税時期における財産中、当事者間に争いのあるものについて順次判断することとする。

(一)  宅地

原告が昭和二六、二七年の各課税時期において(1)東京都練馬区谷原町一丁目一五二の六六(八八坪)および(2)同町一丁目一五四の三五(一六三坪)の宅地を所有していたこと、ならびにこれらを申告しなかつたことは当事者間に争いがない。

そうして、宅地の評価は、その賃貸価格に税務官庁において定める標準的評価倍数を乗じて計算する方法を適当と認めるところ成立に争いのない乙第四一号証の一、二によれば、本件宅地の賃貸価格は(1)は金三五円二〇銭、(2)は金六五円二〇銭であり、成立に争いのない乙第七七号証、同第一一号証によれば、当該宅地所在地域の宅地の評価倍数は(1)、(2)とも昭和二六年度は一、〇〇〇、昭和二七年度は一、三〇〇であるから、昭和二六年の(1)、(2)の評価額は各賃貸価格に一、〇〇〇を乗じて算出した金額、すなわち(1)は金三五、二〇〇円、(2)は金六五、二〇〇円となり、昭和二七年の各評価額は各賃貸価格に一、三〇〇を乗じて算出した金額、すなわち(1)は金四五、七六〇円、(2)は金八四、七六〇円となる。

(二)  株式

原告が昭和二六、二七年の各課税時期において(1)東京ガス三〇〇株(昭和二七年は六〇〇株)、(2)中央繊維二八〇株、(3)帝国製麻四八〇株、(4)東邦レーヨン四〇〇株(昭和二七年八〇〇株)の各株式を所有していたこと、およびこれらを申告しなかつたことは当事者間に争いがない。

そうして、株式の評価は、証券取引所に上場されている本件株式にあつては、証券取引所によつて公表されたその年の一二月中の毎日の最終価格の平均額によることになる(富裕税法第一四条参照)ところ、成立に争いのない乙第七八号証によれば昭和二六年の各平均額は(1)は金五五円、(2)は金七八円、(3)は金九八円、(4)は金一二四円であり、また成立に争いのない乙第一三号証によれば昭和二七年の各平均額は(1)は金七六円、(2)は金九五円、(3)は金一三二円、(4)は金一一一円であるから、その評価額は右の各平均額に株式数を乗じて算出した金額、すなわち昭和二六年度については(1)は金一六、五〇〇円、(2)は金二一、八四〇円、(3)は金四七、〇四〇円、(4)は金四九、六〇〇円であり、昭和二七年度については(1)は金四五、六〇〇円、(2)は金二六、六〇〇円、(3)は金六三、三六〇円、(4)は金八八、八〇〇円となる。

(算式)   昭和二六年度     昭和二七年度

(1)   55円×300=16,500円  76円×600=45,600円

(2)   78円×280=21,840円  95円×280=26,600円

(3)   98円×480=47,040円 132円×480=63,360円

(4)  124円×400=49,600円 111円×800=88,800円

(三)  定期預金等

証人若宮俊一(第一、二回)の証言、同証言により真正に成立したものと認められる乙第一六号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める乙第一七号証によれば、株式会社北陸銀行御馬出支店には、昭和二六年の課税時期において別表第三記載のとおり木津秀二外三三名の架空名義による通知預金三四口、および飯坂友信外三八名の架空名義による定期預金三九口、合計金七、二五二、八四〇円ならびに昭和二七年の課税時期において別表第四記載のとおり野村節子外八五名の架空名義による定期預金八六口、および無記名定期預金一三口、合計金一〇、一〇四、九二〇円が存在したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

そこで、右定期預金等の債権者が誰であるかにつき判断する。証人若宮俊一(第一、二回)、同石瀬保彦、同野村三郎の各証言、成立に争いのない乙第一八号証、同第二七、二八号証、同第三二号証、その方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第一九、二〇号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認める乙第二一ないし第二三号証、同第二五、二六号証、同第三〇、三一号証、前記石瀬証言により真正に成立したものと認める乙第二四号証、ならびに前記野村証言により真正に成立したものと認められる乙第四二ないし第四五号証、同第四六号証の一、二、同第四七号証、同第五七、五八号証によれば、(1)(架空経費の計上)原告は現実に使用しない経費を支出したかのように仮装経理していること、これによつて計上された架空経費は別表第五記載のとおり昭和二六年度では金一、四三九、八四〇円、昭和二七年度では金一、八七二、二九〇円に上つていること、この架空経費の中には、原告の北陸銀行御馬出支店の当座預金口座から支払小切手として払出されたものが、その支払日に対応する日に、そのまま、あるいはこれに現金を加えたものが前記認定の同支店への本件預金となつているものがあること(別表第五参照)、その他本件預金が原告の同支店当座預金口座と密接な関連をもちつつ動いていること、右預金に使用されている架空名義のなかには原告が架空材料の仕入先として使用しているものと極めて類似した名義が少くないこと(別表第三ないし第五参照)、(2)(売上げの脱ろう)原告は横浜内外織物株式会社から製品の売買代金として同社振出の金額一、〇〇〇、〇〇〇円の約束手形を受取り、これを菅村良道名義で昭和二六年二月二八日株式会社北国銀行新竪町支店から支払を受けているのにこれを原告の原簿、元帳等の関係帳簿に登載しないで脱ろうしていること、原告は同日同支店に対し越前正次外七名の架空名義により通知預金八口、合計金一、〇〇〇、〇〇〇円を設定していること、右名義中には北陸銀行御馬出支店の本件預金における架空名義と全く同一のものがあること、さらに原告は取引先である横浜シルク株式会社、株式会社篠竹商店から売掛代金を受領しているのにかかわらずこれを関係帳簿に登載せず、また右会社に対し支払義務もなく支払つた事実もないのに、あたかも入金超過があつたように売上を過少に計上してこれを簿外に脱ろうさせ、これをもとに堀川美子外一名の通知預金を作つていること、(3)(その他)原告の実父荻布宗太郎は、本来の申告時期から三年を経過した昭和三〇年一月一八日、被告が原告に対する国税犯則事件調査により原告の隠匿簿外預金を発見し、これについて調査を続行しているときに、突如として、高岡税務署長に対し、本件架空名義定期預金中の大部分(昭和二七年の課税時期で合計金八、九七九、九二〇円)は宗太郎の財産であるとしてこれらを加算した修正申告を行つたこと等の事実が認められ、右認定に反する証人守越七蔵(第一、二回)の証言および原告本人の供述を録取した甲第八号証、同乙第三九号証は、にわかに措信しがたいし、他に右認定を左右するに足る証拠はない。右の各事実を綜合して考察するとき、被告が本件預金を原告の財産であると認定したことは相当であつてなんらの違法はない。

なお、原告は、本件預金のうちの大部分は荻布宗太郎に帰属するものであると主張し、その理由として、昭和二六、二七年当時機場用品の部品等は統制の関係もあつて行商人的なブローカーから買わざるをえず、したがつてまた、ある程度の接待も必要としたところ、右売買や接待はすべて現金で行われたため、手形取引を主としていた原告は現金が手元にないところから、しばしば近所に住む父宗太郎から現金を寸借していた関係で、毎月末宗太郎へ原告の北陸銀行御馬出支店の当座預金口座から弁済金相当額を小切手で支払つていたのであるが、これを受取つた宗太郎はそのまま同支店へ預金し、その名義は銀行側の考えた適当な名義にしたものであると反論する。しかしながら、これに沿う証人守越七蔵(第一、二回)の証言はたやすく信用しがたいし、かえつて、証人石瀬保彦の証言、同証言によつて真正に成立したものと認める乙第五六号証、証人野村三郎の証言により真正に成立したものと認める乙第五五号証、前出乙第五七、五八号証、成立に争いない乙第三九号証、同第六五号証の一ないし八、同第六六号証の一ないし三によれば、原告主張当時機料品についての統制などはなかつたこと、したがつて統制による品不足ということは認められないこと、原告のなした接待は殆んど少額のものであり、かつそれらはすべて記帳されていること、原告は事業をやつて行く上で宗太郎から金を借りたということは殆んどないし、同人との貸借関係は本店勘定においてすべて整理されていること、逆に、宗太郎の手許に常時原告主張のような現金があつたとは考えられないこと、さらに預金の名義が銀行側で適当に作られるということはありえないこと等の諸事情が認められるのであつて、右事実によれば原告の前記主張はとうてい認められない。

(四)  仕掛品ならびに原糸(昭和二七年)

(1)  在庫数量

成立に争いのない乙第三四号証、同証によつて真正に成立したものと認められる乙第三三号証の二、証人若宮俊一(第一、二回)、同石瀬保彦の各証言によれば、原告機業場の昭和二六年課税時期における仕掛品の在庫数量は三七二・〇四一貫であり、昭和二七年の課税時期のそれは二二〇・六三六貫であること、また昭和二七年の課税時期における原糸の在庫数量は一二九・九一八貫であることがそれぞれ認められる。右認定に反する証人守越七蔵(第一、二回)の証言、および大橋良作の供述を録取した甲第七号証、同乙第一五号証は前掲証拠に照らし措信しがたいし、また昭和二六年の課税時期の仕掛品の在庫数量は一八五・四四〇貫、昭和二七年の課税時期のそれは一五一・七七〇貫であり、同時期の原糸の在庫数量はゼロであるようにみられる乙第四八号証の一、同第六二号証の二は、前掲各証拠ならびに前出乙第三四号証によつて真正に成立したものと認められる乙第三三号証の三、その方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第四八号証の四、同証により真正に成立したものと認められる乙第四八号証の二、三、成立に争いのない乙第六三号証、検証(第二回)の結果に照せば、にわかに措信しがたい、すなわち、糸の仕入れについては入荷してないのに入荷したように作為したり、糸の消費量についてはまだつけ込まれず原糸として残つていたものをすでにつけ込んだものとして処理したり、さらに製品の重量については表帳簿の集計が事実の集計と故意に違わせてあるなど正確に記入されたものとはとうてい認められないし、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(2)  単価

昭和二六年課税時期の仕掛品の単価(貫当り、以下同じ)が金一三、四三七・五円であることは当事者間に争いがない。また昭和二七年課税時期の原糸の単価が金一四、三四八円であることは原告において明らかに争わないのでこれを自白したものとみなす。

そこで、昭和二七年課税時期の仕掛品の単価につき判断するに、証人若宮俊一(第一回)、同石瀬保彦の各証言、前出乙第三三号証の二、成立に争いのない乙第三五号証、前記石瀬証言によつて真正に成立したものと認める乙第三六号証、同第五九号証によれば、仕掛品の単価は投入原糸の価格に仕掛品が製造過程において附加される製造費を加算した金額で評価するものであるところ、昭和二七年中の総製造費は金一〇、五四七、四三八円、投入原糸量(繰越原糸量に仕入原糸量を加算したものから期末在庫原糸量を控除したもの)は二、七九二・〇五貫であり仕掛品の完成度合は五〇パーセントとして計算するのが適当であることが認められ、右認定に反する証人守越七蔵の証言(第一回)はにわかに措信しがたいし、また原糸の運賃諸掛が売主たる亀井株式会社の負担であつたとの甲第一六号証も未だ右認定を覆えすに足りないし、他に右認定を左右するに足る証拠はない。したがつて、仕掛品の単価は、総製造費金一〇、五四七、四三八円を投入原糸量二、七九二・〇五貫で除算した貫当り製造負担額金三、七七七円(円未満切捨、以下同じ)に完成度合五〇パーセントを乗算した貫当り製造附加額金一、八八八円を前記原糸の単価金一四、三四八円に加算した金額、すなわち金一六、二三六円である。

(算式)

(10,547,438/2,792.05×50/100)+14,348=16,236円

貫当り製造費 完成度合 原糸価格 仕掛品の単価

したがつて昭和二六年課税時期における仕掛品の評価額は、在庫数量三七二・〇四一貫に単価金一三、四三七・五円を乗じて算出した金額、すなわち金四、九九九、三〇〇円(円未満切捨、以下同じ)、昭和二七年課税時期のそれは在庫数量二二〇・六三六貫に単価金一六、二三六円を乗じて算出した金額、すなわち金三、五八二、二四六円、また同時期における原糸の評価額は在庫数量一二九・九一八貫に単価金一四、三四八円を乗じて算出した金額、すなわち金一、八六四、〇六三円である。

(五)  住宅、月賦販売未収金、仮受金

原告が昭和二五年富山県新湊市放生津西浜に一二戸分の分譲住宅を建設したこと、そのうち大浦外一名に引渡した二戸については売買契約が成立したものとして経理されていることは当事者間に争いがない。

そこで、その余の越野雄三外九名に引き渡した一〇戸について如何なる契約がなされたかにつき判断するに、成立に争いのない乙第四〇号証の一ないし七、証人野村三郎の証言、同証言によつて真正に成立したものと認める乙第六〇号証、同第六八号証、証人石瀬保彦の証言によれば、原告は昭和二五年当時右一〇戸についても、大浦外一名に対する建物と同様、越野雄三外九名に対し割賦払約款付売買、いわゆる月賦販売をなしたものと認められ、右認定に反する証人守越七蔵(第一、二回)の証言はにわかに措信しがたく、また一種の使用貸借契約を締結したようにみられる甲第三号証は、前掲証拠に照らせば、原告が右売買契約が成立して数カ月のうちの昭和二五年一一月頃自己の経理処理上の都合のみから形式を整えるため一方的に作成したものであることが認められ、これにより従前の売買契約が中途において合意解除され、新たな使用貸借契約が遡つて締結されたものとはとうてい認めがたいし、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

そうだとすれば、被告が原告の各課税時期の財産を評価するに当り、原告のなした前記一〇戸の住宅を資産に計上し、支払われた割賦金を仮受金として負債に計上した申告を否定し、成立に争いない甲第四号証、同乙第八二号証によつて認められる別表第六記載の前記越野雄三外九名に対する各課税時期における割賦金残代金の合計、すなわち昭和二六年課税時期においては金一、一〇二、四〇〇円、昭和二七年課税時期においては金八六一、二〇〇円を、月賦販売未収金として資産に計上して処理した点になんらの違法はない。

(六)  預ケ金債権

何者かが石黒平吉名義で亀井株式会社に委託して横浜生糸取引所において生糸の清算取引を行つていたことは当事者間に争いがない。また、右石黒平吉が昭和二六、二七年の各課税時期に右会社に対しそれぞれ金七七、四二八円、金四二七、五二八円の預ケ金を有していたことは、原告において明らかに争わないので自白したものとみなす。

そこで、石黒平吉とは何者であるかにつき判断するに、成立に争いのない乙第三九号証、同第四九ないし第五二号証、証人若宮俊一(第一、二回)、同北川干城、同石瀬保彦の各証言によれば、原告が守越七蔵をして石黒平吉なる名義で前記清算取引をさせていたことが認められ、右事実によれば、石黒平吉とは結局原告であることが明らかである。右認定に反する証人守越七蔵(第一、二回)の証言ならびに小松原義郎および原告本人の供述を各録取した甲第六号証、同第八号証は前掲各証拠に照らしてにわかに措信しがたく、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

そうだとすれば、原告が昭和二六、二七年の各課税時期において亀井株式会社に対し前記各預ケ金を有していたことは明白である。

(七)  屑糸(昭和二七年分)

昭和二七年課税時期における屑糸の単価(貫当り)が金四〇〇円であつたことは当事者間に争いがない。

そうして、成立に争いのない乙第一五号証、同証により真正に成立したものと認められる乙第一四号証、証人若宮俊一(第一回)、同石瀬保彦の各証言によれば、原告の昭和二七年課税時期における屑糸の在庫数量は一一一・二六〇貫であつたことが認められ、これに反し一六〇貫であつたようにみえる乙第六二号証の三は、単に発生屑の合計数量、金額のみしか記載されておらず、それが発生した日時、経過、態様等については一切不明であり、前掲各証拠に比較してにわかに措信しがたいし、他に右認定を左右するに足る証拠はない。したがつて、原告の右課税時期における屑糸の評価額は、在庫数量一一一・二六〇貫に単価金四〇〇円を乗じて計算した金額、すなわち金四四、五〇四円となる。

(八)  家庭用動産

被告は原告が昭和二七年課税時期において金二〇〇、〇〇〇円相当の家庭用動産を所有していたと主張するのであるが、右事実は被告の全立証によつてもこれを認めることはできない。

以上にみたとおり、原告の昭和二六年課税時期における資産の合計は金六一、四九〇、〇四二円であり、負債の合計は金二三、六一三、一八九円であるから、課税価格は金三七、八七六、八五三円となり、これに対する富裕税額は金四八二、五三〇円となる。また、昭和二七年課税時期における資産の合計は金四七、八一六、二〇五円であり、負債の合計は金四、三九〇、九一〇円であるから、課税価格は金四三、四二五、二九五円となり、これに対する富裕税額は金五九三、五〇〇円となる。

つぎに、附加税賦課処分について判断するに、原告は、昭和二六年富裕税について、当初昭和二七年二月二九日附でなした課税価格金二五、六四八、八七一円、富裕税額金二三七、九七〇円との申告を、その後昭和三〇年一月一八日附で課税価格金二九、四九二、六八一円、富裕税額金三一四、八五〇円と修正申告したことは当事者間に争いのないところ、原告の当初の申告が誤つていたことについては本件全証拠によるも正当な事由があつたとは認められないから、原告は修正申告により増加した富裕税額金七六、〇〇〇円(一、〇〇〇円未満の端数切捨)に一〇〇分の五の割合を乗じて計算した金額、すなわち金三、八〇〇円の過少申告加算税額を賦課されることになる。

さらに、原告のなした右修正申告が、昭和三〇年七月一九日附で高岡税務署長により課税価格金三七、二二五、四〇〇円、富裕税額金四六九、五〇〇円と再更正されたこと、および原告が昭和二七年富裕税について昭和二八年三月一六日附でなした課税価格金二七、九三六、五三六円、富裕税額金二八三、七三〇円との申告が、昭和三〇年七月八日附で同署長により課税価格金四三、二一三、〇〇〇円、富裕税額金五八九、二六〇円と再々更正されたことはいずれも当事者間に争いのないところ、原告は、前記認定のとおり、架空経費の計上もしくは売上げの脱ろうという方法により簿外資金を造成し、これを北陸銀行御馬出支店に架空名義の定期預金等にしたり、帳簿の記載についても故意に事実を曲げて記帳し、あるいは生糸の清算取引に際しては架空人である石黒平吉名義で行なうなど、課税価格計算の基礎となるべき財産を隠ぺいまたは仮装し、その隠ぺいまたは仮装したところに基いて本件各申告書が提出されたものであるから、前記各更正によつて増加した富裕税額、すなわち昭和二六年度については金一五四、〇〇〇円(一、〇〇〇円未満の端数切捨、以下同じ)、昭和二七年度については金三〇五、〇〇〇円にそれぞれ一〇〇分の五〇の割合を乗じて計算した金額、すなわち昭和二六年度は金七七、〇〇〇円、昭和二七年度は金一五二、五〇〇円の各重加算税額を賦課されることになる。

以上の次第で、右に認定した範囲内でなされた高岡税務署長の本件各更正処分ならびに附加税賦課処分はいずれも適法であり、これを認容した被告の本件各審査決定は相当であるから、原告の昭和二六、二七年の富裕税に関する原処分および審査決定の各取消を求める本訴請求を棄却することとする。(なお、原告は請求の趣旨として「二、(ロ)被告は、高岡税務署長が原告に対する昭和二六年分富裕税に関し、課税価格金三七、二二五、四〇〇円、富裕税額金四六九、五〇〇円、過少申告加算税額金二、〇〇〇円、重加算税額金七七、〇〇〇円と更正したのを、課税価格金二七、四七九、一三一円、富裕税額金二七四、五八〇円、過少申告加算税額不徴収、重加算税額不徴収にそれぞれ変更せよ。四、(ロ)被告は、高岡税務署長が昭和三〇年七月八日附で原告に対する昭和二七年分富裕税に関し、課税価格金四三、二一三、〇〇〇円、富裕税額金五八九、二六〇円、重加算税額金七二、五〇〇円と更正したのを、課税価格金二八、九六四、一四六円、富裕税額金三〇四、二八〇円、重加算税額不徴収にそれぞれ変更せよ。」と述べているのであるが、右はいずれも、結局、高岡税務署長に対し、同署長のなした更正処分および附加税賦課処分中原告主張の金額を超える部分の一部取消を求めているものと解せられるので、これを右趣旨に解釈して判断した。)

五、よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条但書を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 山田正武 松岡登 花尻尚)

(別表省略)

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